Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

現代版井戸端会議

 昨日に引き続き義姉の兄の火葬が行われた。お寺さんの都合で葬儀までは少し間があく。このあたりではふつうなら午前中に火葬をして午後葬儀という流れだが、火葬と本葬が別の日となったため、午後の火葬となった。したがって火葬場にはわたしたちだけというおちついた雰囲気の中での火葬だった。火葬場まで家から5分ほどという位置関係からすれば、いったん自宅に戻ってもよいくらいだが、火葬場の待合室で待った。義理の姉の家系は以前から「女」が優位、という印象を抱いていたが、その通り集まった親族も元気な従姉妹たちばかり。火葬待ちの時間なのだろうかと思うほど、彼女たちの声が他には誰もいない火葬場の建物に響き渡っていたことだろう。義理でもなければめったに顔を合わすこともない人々の集まりは、久しぶりということもあって世間話で盛り上がる。めったにないという機会だけにそんな従姉妹衆が揃って写真に収まる。すると今度はその写真をみんなの携帯(ほぼ全員スマフォ)に送信する。いわゆるラインというやつで送るわけであるが、うまく送れない機種同士があって、唯一若い甥夫婦が操作をすること1時間近く、ようやく操作完了して賑やかだった館内が少し落ち着いた。ほぼわたしと同世代ながら、彼女たちはまるで現代版井戸端会議をスマフォをのぞきながらずっと続けたのである。

 この主たる従姉妹たち、実は子どものころはわたしの家の割合近くに住んでいた。だからわたしのことを知らないわけではない。河原が遊び場だったわたしは、彼女たちの家の近くへもよく遊びに行った。それだけ「川」という空間は子どもたちをつなぐ空間であったわけである。同い年の子もいて、同級ではなかったが、わたしの性格も少なからず知っている。ということでこんな会話が…。彼女はたまたまこの現代版井戸端会議に加わらなかった。なぜかといえばガラケーだからだ。「みなさんそうなんです?」と傍目で賑やかな光景をうかがっていた男性陣に質問。もちろんわたしはガラケーなので「わたしは違いますよ、そもそも携帯すらあまり使わない」、と言うと聞いていた兄が「そうだよな、お前は電話しても繋がらないことが多いから」とつけ加える。「拘束されることが嫌だから」とそれほど思ってもいない理由を口にすると、「そうだよね、昔からそういうところあるから」と彼女も同調。昔からよほどの「変わり者」で通っていたと教えられた気分を味わう。というか、現代版井戸端会議から外れている彼女を見ていて、このまま子どもたちの世界にトレースすると、結果いじめになるのだろう、あるいは仲間になれないのだろう、と思うばかり。否定できるだけの個人の意志がなければ、この世は渡れないというわけだ。すでに中年以上にさしかかった女系従姉妹集団にみる現代版井戸端会議から教わった現実である。

 

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