Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

2022-03-01から1ヶ月間の記事一覧

令和3年度大晦日に思う

令和3年度の大晦日となった。 ちょうど昨日のこと、お客さんのところへ所要で訪ねると、本題とは別の宿題に話題が・・・、「もう2年待っている」と。契約物件でありながら、納めていない物件の話だ。仲間には年度内に仕事を納めるようにと正しているのに、自…

手良野口出口の道祖神

出口集会所の道祖神 出口入り口にある「庚申」 伊那市手良の内に棚沢川という川があり、福島で天竜川に注ぐ。先ごろ「描かれた図から見えるもの㉚」において伊那市内の明治時代の旧図のことについて触れたが、あまり認識のなかった沢岡村とは、この棚沢川流…

その車で何をしようとしているのか!

昨日飯田市のアップルロードでの話を記したが、高森町あたりまでそのまま国道を北上すると、もう片側1車線。追い抜くことはできないわけだが、後ろに小型のトラックとおぼしき車が接近してきた。よく見るとゴミ収集車。かなりわたしの車に接近してくるのだ…

笑えるハナシ

飯田市市街地南に国道153号線のバイパス、通称アップルロードと言われている道路がある。この地域では珍しく片側2車線道路で、この道ができてから周辺は一気に様子が変わった。ようは丘の上にあったマチがここに移動したようなもの。とはいえ片側2車線道路…

美篶上川手本坂尻の道祖神

美篶上川手本坂尻の道祖神 「美篶下県大正坂の道祖神」で伊那市美篶地区の段丘のある空間の話をした。下県では大正坂を上ったところに道祖神が祀られていたが、多くは坂を下ったところ、いわゆる下段の集落の裏側のようなところに道祖神が祀られていることが…

美篶下県大正坂の道祖神

美篶下県(しもがた)大正坂の道祖神 伊那市美篶の地域内区分については、以前にも触れた。美篶には天竜川に近い側から青島、下川手、上川手、下県、中県、上原、上大島、南割、芦沢の各区があり、それぞれの地区が下段、中段、上段といった段丘に対して直角…

「犂」からウイングハローへ 中編

「犂」からウイングハローへ 前編より 松山式犂 メリーテーラー メリーテーラー用犂 犂は中国から朝鮮半島を経て6から7世紀ごろに伝わったと言われる。当初は九州をはじめ近畿において使われていて、東日本では犂を利用することなく深耕のできる鍬をもっぱ…

西春近小出1区上村の道祖神

小出1区上村の道祖神 伊那市西春近の小出1区は、小黒川の南側すぐの集落である。広域農道にある「山本」信号の南東にある小さなまとまりがその小出1区の上村である。その四辻の一角に石神を祀った空間がある。目立つのは昭和の「庚申」と「甲子」である。…

脱出不能

日ごろ気にしている広告メールがあって、配信される度に必ず記事を確認していた。愛用品のひとつで、配信されるメールを確認し、気に入ったモノがあればときおり注文もしていた。安価ではないので、本当に気に入ったモノを見つけるために確認していたのだが…

マスクが傾く

わたしはふだんメガネを掛けている。そして鏡で自分の顔を朝見るたびにそれが傾いていることに違和感を持ちつつも、メガネを新調するたびに眼鏡屋さんにその疑問を投げかけたことはなかった。もちろん眼鏡屋さんは掛け具合を調整してくれるし、その際に傾い…

散歩から

ある光景 少しばかり、とわたしは自ら捉えているものの、診断では「生活習慣病にはいりますよ」と言われるほど、体系には似合わずLDLコレステロールが高い。妻とは「何が悪いのか」と話題になるのだが、食事上はLDLコレステロールを上げるようなものを多食し…

最後の和田峠越え

昨日の上田行き、寒の戻りで雪が降った朝、和田峠へ上っていくと雪の量はしだいに増えていったが、道路に雪はなかった。このまま目的地まで行くと、少し時間に余裕があると思い、和田峠旧道へ入った。 「まだ無料化になっていなかったんだ」、そう思った。も…

「犂」からウイングハローへ 前編

長野県民俗の会の第229回例会は、上田市の松山記念館を中心に行われた。松山記念館のことは認識していたが、訪れたのは初めてだったうえに、認識していたとはいうものの、名前だけでそれが農機具のそれも「犂」を中心とした収蔵品で構成されている博物館であ…

伊那市手良堀の内の奇石道祖神

伊那市手良堀の内の奇石道祖神 伊那市手良の堀の内は、小学校などがある中心街の北側の集落である。その堀の内の三叉路に写真のように「甲子」の石碑が目立つ石碑群がある。珍しいことに、ここには「庚申」塔は1基も見られず、「甲子」碑が昭和のものまで含…

手良野口東松の道祖神

伊那市手良野口東松の道祖神 伊那市手良野口の東松の中ほど、三叉路の上に南面して道祖神の祭祀場がある。この空間に祀られているものは、すべて道祖神と思われる。真ん中に横広の「道祖神」があり、文字を縁取った線彫り「道祖神」である。これには背後に文…

悩ましく、時は浪費される

『信濃』(信濃史学会)の最新号(74巻3号)において福澤昭司氏が編集後記で次のように述べられている。 民俗学では対面による聞き書きが、基本的調査方法です。聞く者と聞かれる者、時にはその立場が逆転したりしながら、調査は進行します。聞き書きの場と…

当信川沿いから山穂刈へ走った記憶を辿り

多田井幸視氏は、『信濃』の2月号(74巻2号)において旧信州新町の消滅集落を扱った「ムラ社会の消滅と民俗伝承の変容-長野市西山地域の門松飾りの事例を中心として-」を発表されている。地方においては、山間に限らず、農村では都市へ子どもたちを送り込…

気がつけば、今年も終わる

年度末、ということもあって送別会の季節だ。とはいうもののコロナ感染は収まらず、いちおうまん延防止等重点措置期間は脱出したものの、むしろ感染者が増加している長野県内である。しかしながら、送別会はしたい、という願いもあって企画されている。一般…

御柱祭「山出し」

昨年10月23日、およそ6年前に建てられた御柱が倒された。これを「御柱休め祭」と、どこの御柱でもいう。地元の御射山神社でもこれが行われ、今年の御柱祭へと歩み始めていた。もちろん「通常開催」が前提で始められた儀式であっただろう。「長野日報」では…

どれもこれも道祖神に見えてくる

伊那市手良野口蟹沢産泰宮の庭で 伊那市野口蟹沢の入り口に産泰宮という堂がある。この庭に百庚申が祀られていて、多くの石碑が並んでいる。『長野県上伊那誌』の道祖神一覧にはここに道祖神があるという記録はない。ところが『伊那市石造文化財』の一覧によ…

伊那市野口蟹沢の道祖神

前面 背面 側面 伊那市手良野口の最も奥まったところが蟹沢である。集落の辻に石碑群があり、その中にこの「道祖神」が祀られている。ほかの石碑が南西を向いているのに、「道祖神」だけは南東を向いている。元々ここに祀られていたのか、それとも違うところ…

描かれた図から見えるもの㉚

描かれた図から見えるもの㉙より 長野県立歴史館のページに「長野県明治初期の村絵図・地図アーカイブ」というものがある。その名の通り、明治初期の村絵図を掲載しているページで、絵図そのものはかなり曖昧で、略図と言おうかわたしの業界で言うポンチ絵並…

工事信号

ある工事による片側交通の信号でのこと。並んでいた車の列は10台くらいだっただろうか、わたしの前に。おそらく30秒余の青が続いたと思うが、わたしの数台前で信号機が点滅を始めた。これは「もうすぐ赤ですよ」という知らせになる。点滅は5秒くらいだった…

底辺にあるもの

陸続きであっても、ここから向こうは「違う国」という感覚は、わたしたち日本人にはわからない世界かもしれない。しかし、ウクライナで起きている事実は、けしてこのわからない感覚という、乖離したものとは思わない。 この時代にあっても戦争が起こる、よう…

なかなか直らない凹凸

意外に路面状況が良くないのが高速道路だ。とりわけ中央自動車道駒ヶ根インターと小黒川パーキングの、わたしが毎日利用している区間はかなり痛みがひどい。加えてこの区間、工事による車線規制が多い区間。といっても工事は路面補修のための工事ではない。…

絡まった糸、解けない糸

「いつまでも「動く」が当たり前ではない」ではないが、自らの身体も、同様の言葉が当てはまる。それにしても「いつかやろう」と思っていたことが、まったくできないし、いつできるかの予想もできない。それに比例(反比例か?)するのかどうかは定かではな…

無駄だと思うと、すべてが無駄になる

あるお客さんがわが社の事後アンケートにこんなことばを記された。 研修が会場に集まっての開催から、ウェブ開催に変更されたのは問題なかったが、あの内容なら最初からウェブ開催にしてよかったのではないか と。感染症拡大防止の観点で、集まって開く予定…

だまされても、悪くはない

全てのひとがそう思うわけでもなければ、対峙している全てのひとが同じように答えを出してくれるわけでもない。 ある市役所に勤められる方は、常に表情が固い、というか常に甲乙関係の乙者には厳しい顔をする。「こういう人っているよね」とは、乙側にいて常…

いつまでも「動く」が当たり前ではない

利用しているモノが、いつまでも完璧だということはないことぐらい解かっていても、ふだんは当たり前に「使えるモノ」と思ってしまうのが常だ。しかし、長く生きてきていると、「いまだに使っているの?」と人には言われてしまうようなものを所持している、…

中央自動車道から長野道へ 後編

中央自動車道から長野道へ 前編より 前編で記したように『飯島町誌』(平成5年刊行「下巻」)には、「通過地点の一部だけが犠牲にならないような協力体制を確立して、道路公団と折衝に当たった」と記述されていたが、具体的なことに触れられていない。当時…

 

お読みいただき、ありがとうございました。