2024-05-01から1ヶ月間の記事一覧
旧丸子町西内の自然石道祖神④より 宮沢が西内の最も下流にある集落であり、上流域から内村川を下りながら道祖神らしきものを探した。この地域では、公民館の庭に祀られているケースが多く、そういう意味では探しやすかったとも言える。ようは人々の集まりや…
旧丸子町西内の自然石道祖神③より 穴澤公民館北辻の道祖神 茂沢の道祖神 平井区公民館の道祖神 平井区公民館の五輪塔残欠 宮沢公民館の道祖神 穴澤の公民館から国道を挟んだ南側の道祖神から直線距離で30メートルほど北側、公民館の北側辻にも自然石道祖神が…
「意外と文字化されていない事実」で触れた埼玉大学文化人類学研究会が1992年に発行した『栄村東部谷の民俗』を確認してみた。「志久見川沿いの集落景観」で触れた集落ごとのお堂の存在についての記述を求めたわけであるが、民俗学を専攻されている学生たち…
旧丸子町西内の自然石道祖神②より 過去の記事を振り返ってみて、もしかしたら続きがないから完結していないのかもしれない。こういう記事は、本日記にはいくつもある。先ごろも記したが、「後で」と思っているとそのまま途絶えてしまう。2018年に『長野県道…
旧丸子町西内の自然石道祖神①から 鹿教湯温泉の道祖神 大塩の道祖神 穴澤公民館南の道祖神 松本市から三才山トンネルを越えて最初にある集落らしいまとまりのある空間は鹿教湯温泉である。湯治の温泉として知られるから、あまり観光で訪れる人は多くないのか…
確認したいことがあって、ある市に平成の合併で併合された村を訪れた。長野県内のほとんどの行政区域をおおかた知っているが、この村は一部分を頻繁に通行することはあったが、この村へ行くことを目的で訪れたことは一度もなかった。ようはわたしにとっては…
松本市三才山小日向の道祖神 昨日丸子へ向かう途中松本市三才山界隈をうろついたことについて触れた。三才山の手前(松本から見て)の小日向というところで、写真の道祖神を見てみた。自然石道祖神ではないが、双体像の彫ってある石そのものが変わっていると…
松本市三才山本村東の道祖神 午前中松本市内で会議があった。せっかく松本まで足を延ばしているので午後は三才山トンネルを越えて旧丸子町の自然石道祖神を見てみようと考えた。そもそも「高遠町山室の獅子舞へ」に掲載した「正月の獅子舞」における「二月八…
安曇野市の仕事で午前中の会議を終え、午後は同市三郷の中萱の集落内を歩いた。一緒に歩いた皆さんは気にも留めていなかったと思うが、この地域は水路、いわゆるかんがい用の水路の流れが多方向に向かう。例えば西に流れたり、東に流れたり、という具合に。…
残されたフイルムカメラ①より 初めて買ったカメラがレンズ交換式レンジファインダーカメラであったことについて一昨日触れた。最も愛着のあるカメラであるわけだが、もう1台やはり中古市場で比較的高額で扱われているカメラを持っている。プラウベルマキナ…
朝通勤時、ふだんなら渋滞もしないような場所で渋滞する。地方なので、通常なら渋滞など発生するはずもないのだが、朝の通勤時だけは別の世界が訪れる。なぜかと言えば、交差点を右折しようとする車が曲がれずに待っているから、後ろに車が繋がる。右折先に…
「MINOLTA CLE」カタログより このモノクロのパンフの4人、全員鬼籍に入られた モノクロの背面に印刷された「男の拘泥り」 最近新たにカメラを買った。いわゆるミラーレスのカメラだ。これまで利用していた一眼レフが気に入らないわけではない。…
写真は、これまでにも何度かここに掲載してきた我が家の土手のもの。先週の土曜日と今日、2日がかりの成果だから、ここに取り上げてみた。3枚目の写真が我が家の田んぼである。かつてはこれで3枚あったが、上2枚は、畔を抜いたから、現在は1枚になって…
駒ヶ根市火山(令和6年5月18日) 定年を機に、本を発行したことについて触れている。きっかけは『伊那路』に連載している「図説上伊那の民俗」を1冊にまとめたいとかねがね思っていたからだが、たまたま西天竜土地改良区の百周年記念式典用にパンフレットを…
「廃れきった十王堂の話」-『伊那路』を読み返して56 より 『伊那路』昭和40年11月号の「さわし柿」は、駒ヶ根市中沢の竹村直人氏が寄稿したもの。「中沢では昔から畑や畦畔に何処でも二本や三本の「せんぼ柿」があった」という。このせんぼ柿をさわして畑…
それぞれの人たちにそれぞれの権利があるのは百も承知だ。例えば近ごろさかんに話題に上る同性婚も否定するものではない。しかし、生産性という面で必ずしも現在の日本の状況の課題をクリアーするものではないことは言うまでもない。ようは人口減少という視…
今年、既に数えきれないほど足を運んでいる現場である(2020年にも数えきれないほど足を運んでいたが、当時の日記を振り返ると、富士見町での現場に関係した記事ばかりが見え、ほかにもたくさん現場を踏んでいたのに、まったくそれら現場が登場しない。その…
先ごろ「志久見川沿いの集落景観」を記した。栄村では2022年に『栄村誌』を刊行している。長野県内でも北の端の村なので、南信の図書館でその本を置く図書館などない。長野県内図書館横断検索サービス「信州ブックサーチ」で検索してみても12件しか表示され…
長く車に乗っているが、フォグランプなるものを点灯して走る経験は、勘定してもおそらく数時間レベルだと記憶する。現在利用している車はもともと付いている車種だったし、以前の車にも購入時から付いていた。ただ、それこそ初心者マークで乗っていた時代の…
志久見川沿いの集落景観 前編より 切欠墓地とお堂 長瀬から県道507号を1.5キロほど下ると、また集落に入る。切欠の集落である。切欠は県道の左手窪地に見えてくる。そして県道の左脇、集落から望むと小高いところに集団の墓地があり、その墓地脇にやはりお堂…
このところ毎年田植えが6月にずれ込んでいた。我が家には田植え機がないため、委託している。ところがわずかな田んぼのため後回しにされ、6月にずれ込むを繰り返していた。もっと早く田植にしたいところなのだが、相手のある話なので思うようにいかなかっ…
平成14年11月30日にまだ上村だった下栗で長野県民俗の会総会シンポジウムが行われ、報告者の1人として発表の機会を持つことができた。その内容については、「下栗の自然と生業」と題して長野県民俗の会会報26号に発表した。そのシンポジウムの後、当日参加…
「枝義理」-『伊那路』を読み返して55より 『伊那路』昭和40年9月号に赤羽篤氏が「廃れきった十王堂」を報告している。わたしは、現在でも常に意識しているものに「十王」がある。先ごろから記している「志久見川沿いの集落景観」でも扱っている十王。葬儀…
「地図」について 前編より 『地図中心』(一般財団法人日本地図センター)の最新号である620号(令和6年5月10日発行)の特集は“「小谷村」は「おたりむら」と読む!”である。難読地名というと県内では泰阜村に多いという印象があるが、実は小谷村に最も多い…
『地図中心』(一般財団法人日本地図センター)についてこれまで2回ほど引用して日記を記した。そもそも地図に興味がもともとあった。今は長野県民俗地図なるものに傾向しているが、ちょっと意味合いが違う。後者は表現方法として地図、といっても略図のよ…
「美篶見聞記」-『伊那路』を読み返して54より 久しぶりの“『伊那路』を読み返して”である。 『伊那路』昭和40年5月号に堀口貞幸氏が「枝義理」について報告している。枝義理については本日記でも何度となく触れてきたもので、わたしとしても興味深く調べて…
先ごろ久しぶりに栄村を訪ねた際に、道の駅に「飯山線の旅」が置かれていて懐かしく思った、というより「今でも発行されているんだ」、そう思った。 長い間記してきた本ブログの中で、「飯山線」と検索しても記事は極めて少なかった。飯山線に縁が無かったわ…
「寒念仏について」で紹介した安曇野市明科塩川原のお堂の裏に石碑と並んで自然石が祀られている。「置かれている」ではなく「祀られている」とあえて表現したのは、台石にモルタルで固定されているものがあるからだ。写真の中には大小の石が12個写っている…
祢津東町歌舞伎(2024/4/29) 中村規氏は、「地芝居」には歌舞伎も操りも含まれるといい、「地狂言」が歌舞伎にあたるようだ。そして『広辞苑』の説明「農村など各地の民間に伝承され、祭礼などの際に地元の人々によって演じられる芝居。村芝居。地狂言。田…
先日の祢津東町歌舞伎において、歌舞伎なるものと(地)芝居の違いについて話題になった。どちらも同意であるが、「歌舞伎」と称すと格調高いものと捉えられがちである。それはいわゆるプロの歌舞伎が知られているためで、容易に「歌舞伎」と称するには戸惑…