昨日はめったに顔を合わせることのない人に久しぶりに出会った。それも2人も。
ひとりは帰りの電車に乗ろうと駅の待合室に入ってのこと。わたしが乗る上り方面の列車の直前にやってくる下り列車が既に発車したあとということもあって、待合室にはほとんど人影はなかった。駅舎とは反対側のホームにやってくる上り列車に乗るわけで、もう待合室に入る必要もないのだが(少し説明を加えれば、わたしの乗る上り列車は下り列車と隣の伊那北駅で交換する。ということで下り列車が発車して約5分後に交換を終えた上り列車がこの駅にやってくる。上り線が駅舎とは反対側のホームあることから、上りの列車に乗る客がこの駅舎側の待合室に入ることはあまりない。ようは下り側は駅舎側の待合室を、上り側は反対側の待合室を主に利用する形になる。実は利用者心理に沿えばごく当たり前の行動で、とくに以前のように駅舎側の待合室に売店でもあったなら上りを利用する乗客がこの空間に足を伸ばすことはあるだろうが、そうではない以上、特別にこの空間を経由する必要性はないのである。)いつも通りの癖で駅舎側の待合室に裏口から入った。するとわたしの正面にその久しぶりの顔が見えて、時には見知った顔でも失礼することもあるわたしだが、自然にその顔の前に歩を進め声を掛けたのである。もちろんわたしが声を掛けなければ気づかずに過ぎた一瞬である。うつむいていたその人はわたしだとすぐに気がついて昔のように人懐こく笑顔を投げかけてくれた。以前にも日記に触れたことのある、かつての職場の先輩である。職種が違ったので実際の現場で先輩と後輩という立場で仕事をすることはなかったが、同じ空間で働いたことのある懐かしい顔である。最近とんと顔を見かけなかったこともあって、お元気なのだろうかと、時々電車の中で思い浮かべることもあった顔である。その顔に会えたから安堵感で素直に声を掛けたしだいだ。やはり以前同様、散髪にやってきて一杯飲んで普通ならわたしの乗る電車に乗る予定だったのだろうが、駅でどなたかと待合をしているようで、「今日は次の電車に乗る」という。以前に同じ電車で今の会社の様子を話しながら帰ったことを覚えていてか、わたしがまだここの駅から通っている姿を見て「まだいるんだ」が第一声だった。間もなく上り列車がやってくるというわずかな時間に、お互いの中にあった時間軸はなんとなく埋められ、別れの言葉を交わして改札を抜けた。その時間1分弱ほどだが、わたし的には十分な時間だったようにも思う。
ふたり目は帰宅時間ということもあって少しばかり混雑する車内で、座れる場所を探して後方部へ向かって歩いていたときに、さきほどの先輩と同じようにほぼ正面に対峙するボックス席にその顔はあった。血縁はないが、父にとっては義理の兄弟にあたる方だ。わたしの仲人をしていただいた方の兄弟という縁もあるが、それ以上にライフワークである民俗の世界でもお世話になった方だ。飯田のマチの中に暮らしているその方は、松本へ行った帰りだという。飯田と松本を連絡する交通として高速バスがあるが、インターまでしか行けないという不便さがあって、松本へは電車を利用するという。もちろん3時間以上かかるその道のりは長いのだろうが、高齢になってきたということもあって、車は利用しないのだろう。以前は盛んに郵便を利用して交流があり、飯田の研究会などでも顔を合わせていたものだが、最近はわたしが飯田から足を遠ざけていることもあって、長い間顔を合わせることのなかった方だ。もちろん義理の付き合いもあって、身のまわりの方たちの様子の話となるが、最近のライフワークの話にもなった。盛んにかつてのわたしの活動を餌に持ち上げてくれるが、そのような期待に沿える内容は今のわたしにはない。ほぼ1時間を久しぶりの飯田の空気をいただきながら過ごすことができたが、あらためて自分の余裕の無さを実感した時間てあった。
実はこの日、仕事の上でもうひとり久しぶりの会話をした方がいる。そしてみな一様に、わたしの今の身分を気にする。そろそろもう少し自由な時間を取り戻し、わたしにしかできないことに力を注ぐことができればもと思うのだが・・・。