Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

“研究所”というより所を生かせなかった22年①

 柳田國男記念伊那民俗学研究所というたいそうな名を連ねた“研究所”の所長が交替した。3代目所長になられたのは国立歴史民俗博物館名誉教授の福田アジオ氏である。先ごろ「久しぶりの顔に」でお会いした飯田の方はこの研究所の運営に関わってきた方である。歳を重ねて今では役員に名を連ねることはなくなったが、今でも時おり研究所の留守番に出ることがあるようだ。“留守番”というのが正しいかどうかは知らないが、この研究所はまさに研究所としての建物を有している。地方にあってこのようなたいそうな名を冠することができる恵まれた組織はない。ところが常民大学という活動で築き上げられた仲間が設立以前からの流れで運営を続け、少なからず抵抗感もあったわたしはこの日記に思うところをかつて綴ったわけである。3代目所長になられた福田氏は、所報である『伊那民俗』の最新号(90号)で「柳田國男記念伊那民俗学研究所のこれから」と題して所長就任に当たっての所信表明をされている。その冒頭の研究所への感想は、わたしの抱いていたものと同じでようやくこの研究所が変わるときが来るのか、という少し期待を抱かせるものでもあった。今でも時おり留守番に出るという方も、この所信表明のことをわたしに語った。というか、少しその所信の内容が厳しいものだったという感想をお持ちのようだったのである。それでは全国的に見ても特筆すべき活動をしている本会に何を福田氏は指摘したのか、少し紐解いていってみよう。

 福田氏はそもそも所長に就任したものの、果たして自分はその任に適しているのか、という疑問を口にする。その疑問は福田氏が「伊那谷と言わず、南信と言わず、長野県と言っても、私には全くと言って良いほど研究実績がないこと」にある。さらには「柳田國男」を冠した組織に適しているかという疑問である。「私も必要があって柳田國男を学び、また柳田國男について論じてきたが、それはあくまでも自己の民俗学研究の必要から論じてきたものであり、柳田國男論そのものではなかった」と言う。そして「安易に柳田國男に批判的に言及することが多く、慎重な民俗学研究者の中で目立ってしまったに過ぎな」く、積極的な柳田國男論者ではないという思いが背景にある。福田氏のこれまで民俗学会での実績からして、その組織名にある「柳田國男」「伊那」というキーワードに全くそぐわないということにあらためて言及したわけである。どれほどその世界の重鎮であったとしても、全く無縁なところに招へいされれば戸惑うのは当然のことだろう。とはいえこれまで所長を勤められてきた方々との縁があって、承諾せざるを得ない流れがあったのだろう。だからこそ、この組織が何のために設立されたのか、という原点に立ち返って自らに求められるものを描こうとした所信表明につながっていくのである。

続く

 

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